京都、八坂通の京料理、割烹 祇園 さゝ木

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器から見えてくること、
器から思いつくこと。

佐々木浩×梶 高明
(梶古美術代表)

京都の美術工芸品店が並ぶ通りとして知られた新門前通りに、店を構える梶古美術。
その八代目当主、梶 高明さんとは同じ祇園の隣人にして旧知の間柄です。
いつも店へフラりと立ち寄り会話するように、今回は“器”をめぐってあれこれ語り合いました。
梶さんは、茶会の亭主、美術鑑賞レクチャーやカルチャーセンターの講師などを
数多く引き受けておられ、古美術を指南するのも熟練者。
器に関する専門的な事柄もわかりやすく言葉を選びながら話していただきました。

■器に学ぶ


佐々木:日本料理には学ばなければならい物事がいろいろあって、器もそのひとつです。私の店は自分が初代ですから、老舗の料亭みたいに代々引き継がれ大切にされてきた器というものがない。梶さんの店に来るたび、由緒ある器にはワクワクさせられて、目移りするのですよ。

梶:器を理解するにも教養を引き上げていく必要がありますが、学ぶだけでは身に付きません。器は道具なのですから、使って初めて知り得ることもたくさんあります。また、器は時代の趣向によってもその流行が変化します。一概に古ければ値打ちがあるというものとは違うように思われます。

佐々木:料理は器に盛り付けて完成させます。料理人は誰もがそうでしょうが、最終的な判断の拠りどころとなるのは、自分の感性なのです。合うか合わないか。そうすると、器に合う料理をつくるか、料理に合う器を選ぶか、どちらかしかない。細かくいえば、選んだ器によって盛り付けの仕方を変えますが、私は、今のところ自分の料理が先で、それをよりよく完成させてくれる器を選ぶことが多くなります。その結果ですから、時代も様式も作者の手も含めて多様にならざるをえません。

梶:私は器使いにおいては、料理人の個性ともいうべき「筋」が通っているかどうかというのが大切だと思っています。日本の美術の主流の一つは茶道具にあります。そして、茶の湯に精通し、趣味の域を越えて優れた美術品を見極め蒐集してきた人間を数寄者と呼びます。「筋」というのは、この目利きである数寄者のブレない目のように、一つの主義主張が通っていることであると思います。そうしたこだわりの姿勢の中でこそ、茶事にちなんだ懐石料理がその品格を長く保ち得たのだと思います。そういった意味では、佐々木さんは筋が通っていると私は思っています。何故なら、佐々木さんの料理スタイルには、他人が代わりに演じることができない佐々木流の美意識とその空気を強く感じられるからです。その背景にあると思われるのは、食に対する教養、それを基に完成された料理、そして楽しんでもらおうとするサービス精神。そういうものがブレずに積み重ねられ、佐々木カルチャーとして昇華されているのですね。

佐々木:数寄者なんて、まだまだ遠い存在です。私は奇抜な器が好きだったけれど、器は不思議なもので、これはと思って使っているうちに飽きてくるのがあるんですね。そういうのは使わなくなる。器って、つくづく難しいと思いますよ。

梶:器というのは実に多様な表情を持っています。さらに器は、その実際の大きさを超えて、広い空間にまで影響を及ぼしてゆきますから、建物や店の環境とも相まって、互いに高めあったり、はたまた打ち消すようなことも語りだします。そういうことにも合う、合わないが出るのですね。

佐々木:今の店は、和風といっても新しい建材で建てたので、どうしたって歴史を感じる建物にはなりません。それで、1階はワイン片手でも日本料理を味わえるモダンな造りにしたんです。ただ、2 階の一部屋だけは純和風にしています。こういう折衷にしたから、器を選ぶのも難しくなってしまったのですかね。

梶:でも、以前お店のあった祇園のど真ん中を離れて、今の立地を選んだ挑戦は正解だったのではありませんか。まるで祇園を少し広げるのに成功したようで、まさに八坂通を祇園にしてしまったかのように思います。佐々木さんは、学ぶよりも既に発信する立場にあるのですから、何事も自分がよいと考える展開を自信をもって通せばいいのですよ。お客さんがそれについてきているのは、それが正しい何よりの実証になっています。佐々木さんは、これまでの京都にはいなかったタイプの料理人だと私は思っています。従来の大将という感覚ではなく、兄貴と呼びたくなる、そうした子弟の囲い方をされていて、既存の枠に拘泥しない新しい結びつきを感じるのです。どの業界でもそうですが、京都の料理界もベビーブームの段階から若返りの時期を迎えつつあります。そしてこれから将来を背負っていく料理人さんたちは、新しいセンスをもって勢いを増してこられているのは確かです。

佐々木:移転当初はあちこちに気を遣いましたけど、思い切ったことができたのも、私が自分自身で始めたからこそと思っています。八坂通も新門前の通りも広くとらえれば祇園にあるのに変わりない。同圏内にあって少し離れて見るというのは、視点を変えて見ることを気づかせてくれます。器をいろいろな方面からよく見るのと同じです。それに、器が料理との関係だけでなく、空間や環境とか、ひとの度量というようなことまでつながっているなんて、勉強になります。

器と遊ぶ


梶:器を用いるときには、約束事というか、ルールがあることがあります。茶道に近づけば特にそのルールが厳格となります。そのルールを邪魔で窮屈なものと考えるだけでなく、創意工夫によって共存することを目指す。俳句や短歌のように定型のなかで表現を競うのと同じです。でも、懐石料理には、強肴(しいざかな)といって決まった献立の合間に酒を勧めるための料理を供する機会が設けられています。ここは、創意工夫でいろいろ楽しい料理を提供するチャンスだと思います。例えば、預け鉢のように、ひとつの鉢に料理を盛って、相席の方々と料理を取り回すことによって、料理を提供されるだけの立場から抜け出す体験をする。これはとても遊び心のある趣向だと思います。

佐々木:うちでも、ひとつの大きな皿に料理を盛り付けて、カウンターのお客さん全員に一度見てもらうようなことをします。楽しんでもらうための演出と思っているのですが、これも遊び心を表しているのですね。

梶:茶懐石に限らず、強肴や預け鉢的な演出の仕方はさらに料理を楽しんでもらうための有効な手段になります。自ら料理を取り分けるだけのことですが、それ以上に遊びを演出できると思います。ただし、家庭で楽しむ大皿盛りとは、一線を画して盛付にも器にもそして、添えてある箸にも配慮し、遊び心を盛り上げることを忘れないようにしなければなりません。また、盛付の数を奇数個にするという、お茶のルールにも理解を示す必要があります。

佐々木:皿が大きくなると、山にする盛り付けは結構難しいんですよ。器とのバランスとか考えながら盛り付けないと見映えもよくなりません。向付けなら、器の容量がありますから玉子ひとつの大きさを基準にするとか盛り付けの塩梅が定まってきますが、器が思いのほか大きいとなれば考えてしまう。

梶:ここに現代陶芸作家さんの大皿があるとします。数寄者の目でも面白いと思われる皿です。佐々木さんなら、この大皿をどのように使われますか。

佐々木:普段使い慣れているような大皿ではないのでしょうね。使ってみたいと思うとして、見込みに料理したのをひとつまみずつ配置してみます。それで、そのひとつまみがいくつ乗れば料理が映えるか、全体の見た目がよいか、ボリュームとバランスとか検討しますね。

梶:先ほど、料理人にとって、感性はとても大切だというお話をされましたが、意外と料理人の皆さんには、感性を表現する対象が大皿ということになると、普段やりなれていない仕事ではないかと思います。しかしそこは、家庭料理との違いを見せつけるためにセンスの見せどころでもあると思います。そこで、提案なのですが、鉢を使って遊んでみませんか。こちらで数種の鉢を用意しますので、佐々木さんの料理と組み合わせ、お客さんに食べ比べてもらったり、遊んでいただいたりするのです。これまで一度だけそうした企画を催したことがありますが、とても好評でした。ぜひ佐々木流の表現でこの課題をこなしてはいただけませんか。

佐々木:それは面白いですね。やってみたいです。是非、実現させましょう。本日は、勉強させていただいた上に、ワクワクする企画まで提案していただき、誠にありがとうございました。

今回の対談を機会に、佐々木浩×梶高明の「鉢で遊ぶ」企画を進める運びとなりました。
詳細が決まりしだい本サイトで発表いたしますので、ご期待ください。



取材日:2018 年2 月24 日
梶古美術にて